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「競争心」とは何か

「競争心」が強い人にしばしば出会う。「自信を持ちすぎている人」という印象を彼らに抱く人も多いと思う。他人の意見を頭ごなしに否定して自分の主張を周囲に認めさせようとする人たちだ。しかし、自信があるならば精神的に余裕があるはずであり他者の意見を聞き入れることもできるはずである。こうした身近に感じるものの、何かと問われれば答えかねる「競争心」に対して考察を深めたいと思う。

「競争心」とは何か

まずは「競争心」の定義から確認したい。デジタル大辞泉は「他に張り合って勝ちたいと思う気持ち。競争意識」と定義している。広辞苑第 6 版や旺文社国語辞典第 11 版でも同様であった。また、英語では competitive spirit と訳される。Competitive は「determined or trying very hard to be more successful than other people or business(LONGMAN Dictionary of Contemporary English NEW EDITION)」と説明される。一方で類似した言葉として「向上心」がある。こちらは「より優れた状態を目指そうとする心(広辞苑第 6 版)」や「現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心(デジタル大辞泉)」と定義される。向上心は自己完結可能な精神である。他者に勝るかどうかとは無関係に自分自身が現状に満足できなければさらに高いものを目指す。このように競争心は比較対象となる他者の存在を前提としてそれに勝ろうとする精神であり、他者依存的な精神である。

企業間での競争心が招いた弊害

ビジネスの世界は競争の世界と捉えることができる。競合他社よりも優れた製品を提供できなければ顧客は自社から離れていき業績は低下し、最悪倒産してしまう。競争心と切り離して考えられないのがこの世界だと思う。こうした企業間の競争の具体例として携帯電話業界をとりあげてみたい。現在ではスマートフォンが主流となりアップルやサムスンの製品が市場で存在感を示している。かつての折り畳み可能なタイプやドコモの i モードで一世を風靡した日本のフィーチャーフォン、いわゆるガラケーは淘汰されてしまったと言える。単に通話が可能な端末であった携帯電話は、富士通やシャープ、NECパナソニックなどの大企業が互いに負けまいと性能向上や新機能追加に明け暮れた。その結果、簡単なモノクロ画面でのメールしか高々できなかった携帯電話は飛躍的に便利になり、ワンセグの登場でテレビすら必要となくなるのではという意見も出るようになった。企業間の競争心がこの市場の成長をもたらしたと言える。しかし、一方で肝心の顧客を置いてけぼりにしたという問題もあった。あまりにも多くの機能があるために新機種変更すればそれに適応するには時間がかかったし、使い道のわからない機能も多くあったと思う。結果として、直観的な操作が可能でデザイン性に優れた iphone をはじめとするスマートフォンが登場するとこぞってユーザーはガラケーから乗り換えた。ここで注目したいのは競争心にかられた結果、当初の目的であった「顧客の獲得」のために重要なユーザーの立場に立つことがすっかり忘れ去られていたことである。また、「性能や機能で競合に勝てれば顧客は獲得できる」という推論が無意識になされ、それを批判的に議論することができなくなっていたと考えられる。このように競争心は前提や不確かな推論を絶対的な「真理」であると錯覚させて思考を短絡的なものにしてしまう恐れがある。そして目的達成のために重要な視点を見失せてしまう。

スポーツは他者との競争なのか

2016 年はリオ五輪開催の年であった。スポーツの祭典はまさに「競争の祭典」である。各選手は他の選手やチームに勝ち、メダルの獲得を目指し、実際に多くの選手がメダルを獲得した。ならばアスリートとは競争心にあふれた人たちであると考えられる。他者に勝とうという強い意志が素晴らしい記録や戦績をもたらすように思われる。しかし、それは本当であろうか。必ずしもそうとは言い切れないと思うのだ。インターハイや国体に出場するような極めて高い成果を残した陸上選手をここではとりあげたい。その選手が「試合本番でいい記録をだすには」というテーマで自身の考えを記述していたものを拝見したことがある。その中には、これまでの練習を振り返る、足の運び方や試合本番のイメージを何度もシミュレーションする、もちろんウォーミングアップの仕方などの技術的なことも書かれていた。相手に勝つ、や闘争心を燃やすといった競争心に関する主張は全くなかったと記憶している。むしろ「他選手を意識せずに練習通り自分の走りに集中する」ことの重要性を指摘していた。一方で上手くいかなかった試合の原因は「他選手を意識しすぎた結果力みすぎた」としていた。つまり、他者に関係なく自分がやるべきこと集中することこそが重要であり、試合中や直前では他者を強く意識する競争心は高い成果をだすことの障害となり得るのだ。

競争の効果

競争心は目的達成を阻んだり成果をだすための障害となったりするというネガティブな面を指摘した。一方で、競争を導入して競争心を高めることで困難を克服した事例も存在する。社員のモチベーションが低く営業成績が低迷していた企業の営業部が、出来高制や月別のランキングの公表を実施して競争の仕組みを導入した結果やる気が高まり業績が改善したという事例はしばしば聞く。また、私の川清掃イベント企画時の経験を挙げると、義務的で仕方なくやることが多い川沿いのゴミ拾いに、ごみの種類や大きさによってポイント付けをしてチームごとにその点数を競うという仕組みを取り入れることで清掃参加者のモチベーションを高めて短時間で清掃を終了できた。しかし、こうした事例から競争心は必要不可欠なものであるという結論付けはできないと思う。これらの事例は、社員や参加者のモチベーションが低かった、という前提がある。どうせ頑張っても何も変わらない、達成感はない、といった無気力状態にあった。そこに競争という刺激が加わることで変化をもたらし、きっかけとなったにすぎないと考える。もし、過度に競争心を高めれば、ポイントの低いゴミは無視したり営業報告をごまかしたりして本来の目的を見失う。よって、競争はやる気を高めるきっかけとしては良い効果をもたらすものの、さらに高い成果を求める段階や状況ではむしろ悪影響を及ぼすと考えられる。

競争心はどこから生じるか

競争心は過度にあると目的を見失わせたり成果を低下させたりしてしまう。企業であれば企業存続のためという理由から競争に走るのは納得できる。それでは日常生活や就職活動などで出会う人はなぜ強い競争心を持っているのであろうか。そこには人間の社会的な側面が関係していると思う。マズローが指摘しているように人間には他者から認められたいという承認欲求を持っている。この欲求を満たすことで自分の存在意義を確かめることができるからだ。自分がいる意味を見出すことができるからだ。しかし、承認欲求は他者が認めてくれなければ満たされることはなく、他者の能力や価値観に依存する。分かりにくいことや曖昧なことを他者は評価し辛く認められにくい。すると、承認欲求の強い人はわかりやすいものに流れる。勝敗は明確に分かれてわかりやすい。テストの点数や年収、地位や肩書ははっきりと序列がついて勝ち負けが明確なのでわかりやすい。皆が認めやすい。こうして自分の存在意義を確かめるために競争や勝敗にこだわり競争心が高くなってしまうと考えられる。

競争心が高く柔軟性がない人にどう対応するか

以上の考察を踏まえると、競争心は自分の中の前提を絶対的なものとみなす原因となり視野を狭めてしまう恐れがある。また、他者を意識するあまり自分がするべきことに集中できなくなり自分のパフォーマンスを低下させてしまうこともある。そしてこの競争心は自分の存在意義を確かめたい、他者から認められたいという欲求を満たすために生じており、それが強いほど勝ち負けにこだわるようになるため他人を頭ごなしに否定するようになり、過度に競争心を強めてしまう。こうした競争心が強いために柔軟性が欠ける人に対してはまずは自分が敵意を持っておらず十分相手を尊重しているという姿勢を示す必要があると考えられる。そうすることで相手の存在意義を認めた上で指摘や建設的な批判を行っていくことが重要となると思う。

以上