なによりも自分のためのブログ

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「受験勉強」で得られるもの,得られないもの

 受験生にとっては極めた重要な時期にある.センター試験が終わり,AO入試,私立大学入試,国公立大個別試験が直前になり,緊張感やプレッシャーに悩まされている受験生は多くいることと思う.こうした試験では,基本的には,ペーパーテストにおいて高い点数をとることが重要である.その数点の差が,合否を決めるからだ.こうした,受験において高い点数をとるための勉強は「受験勉強」と呼ばれ,ネガティブに語られることが多い.ここでは,受験勉強を盲目的に否定するのではなく,それによって身につく力,獲得できるマインドセットに焦点を当てたい.それを通じて,受験勉強の限界や課題を指摘することを目的とする.

 

受験勉強を通じて「情報処理能力」を身につける

 大学入試において,受験生に課される問題は,多様かつ膨大である.センター試験,私大入試,国公立入試と複数回に別れており,それぞれに問題の傾向や特徴があるため,対策をしなければならないのが通常である.また,試験ひとつひとつをとっても,単一科目の受験で済むことは少なく,文理,そしてその中でも複数の科目を受験しなければならない.したがって,多様な科目の勉強をしなければならず,受験生は多くの時間が試験一つ一つに対して必要とされる.また,出題される問題も,特にセンター試験はその色が強いと思うが,問題文で提供される情報量は多く,その読解,分析には,時間を要し,相当な訓練が必要と言えよう.したがって,受験勉強では,膨大なテキスト情報を,短時間で正確に理解する力(情報処理能力)を身につけることが必要となる.

 

現代における情報処理能力の重要性

 受験勉強によって獲得されていく「情報処理能力」は,今日において極めて重要な能力であり,基礎的な能力と言える.インターネットの普及はもとより,スマートフォンの普及によって,誰しもがいつでもネット上での情報獲得ができるようになった.そして,それは社会問題として取り上げられるほどに個人個に習慣化しており,膨大な情報に触れながら,日々の生活を過ごすのが現代人である.ネット上の情報は,玉石混交であり,その信憑性を個人で判断する必要があるため,必然的に内容を深く読み込む必要がある.
 また,誰しもが簡単に情報にアクセスできるようになっただけに,それを前提として物事が進むこともある.従来ならば,情報にアクセスできないことを理由に,調べることが必要とされなかったことも,ネットで検索すればすぐに分かる現代では,従来以上のデータ収集と分析は行っていることが,当然必要とされる.このときには,官公庁や調査会社の提供している膨大なテキストデータを短時間で読み込み,理解し,分析して自分なりの考えをまとめ上げることが必要である.
 以上のように,現代で生活していく上で,情報処理能力は基礎的な能力であり,情報のあふれる現代ではその重要性は,従来よりも増しているものと考えられる.

 

受験勉強を通じたマインドセットの獲得

 受験勉強は,「丸暗記」を助長させるとの批判も多い.しかし,前述したとおり,入試で課される科目数は多く,丸暗記をするにしても,それは能力的,時間的にも非常に難しいことと言える.一部の苦手科目や分野はやむなく丸暗記で臨むにしても,丸暗記だけで入試を突破するのは,現実的には不可能であると思われる.したがって,現実的に完全な丸暗記が不可能な以上は,問題に対して,自分なりに仮説を立て,論理を展開し,正解を導き出すという,正統な姿勢で受験勉強に臨まなければならない.実際には,その能力が正しく身につかないにしても,問題の背景にある原理やメカニズムを知ろうとし,自分なりのロジックを組むことで問題解決をしようとする姿勢は身につくはずである.こうした過程を通じ,問題解決に臨むにあたって必要なマインドセットを,受験勉強を通じて身につけていくことが可能であると思われる.

 

双方向的なコミュニケーション能力は身につかない

 受験勉強を通じて,情報処理能力や問題解決のためのマインドセットが,身につくことを指摘した.しかし,受験勉強では身につかない能力も,当然ながらある.

 現代に限らず,他者との双方向的なコミュニケーションの必要性と重要性は,かねてから指摘されてきた.受験勉強では,こうした双方向的なコミュニケーション能力を養うことはできない.与えられた問題文から,情報を正しく理解し,自分なりの考えを答案用紙上で表現することはできる.しかし,採点者や出題者との双方向的なコミュニケーションはできない.つまり,受験勉強で身につく力は,個人で完結する能力に限られるという制限がある.

 

まとめ

 受験勉強を通じて,現代を生き抜く上で,重要な力を養うことができる.しかし,それには限界があり,他にも身につけていかなければならない能力がある.それは,受験勉強自体の問題というよりも,次のステップで,「受験生であった学生」に求められるものだと思う.受験勉強をゴールではなく,踏み台と捉え,次なる成長へと邁進するのが,大学での学びであると思う.

読書録「確率思考の戦略論」

 マーケティングに確率論的な考え方を全面的に取り入れたのがUSJである.それが詳しく紹介されているのが以下の本である.この本の中で紹介されているフレームワークやモデルについて,まとめたい.

確率思考の戦略論  USJでも実証された数学マーケティングの力

確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力

 

 

売上予測のモデル化

 売上を決定づける要因は7つある.「認知率」,「配荷率」,「過去購入率(延べトライアル率)」,「エボークト・セットに入る率」,「1年間に購入する率」,「年間購入回数」,「平均購入金額」である.配荷率は,市場にいる消費者が製品サービスを購入しようと思えば,物理的に可能な状態にある比率である.エボークト・セット(Evoked set)とは,消費者が,製品サービスの購入の意思決定をする際に,頭の中の候補に上がるブランド群のことである.

これらの要因を基に,まずは製品サービスの年間購入者の割合をモデル化する.

 

(年間購入者の全世帯に対する割合)

=(認知率)×(配荷率)×(過去購入率)×(エボークト・セット率)×(年間購入率)

 

 さらに,年間売上は次のようにモデル化される.

 

(製品サービスの年間売上)

=(総世帯数or消費者数)×(1年間に買う人)×(平均購入回数)×(平均購入金額)

 

売上向上のための3つの方策

 前述の売上予測モデルの要因を向上させることが,企業のマーケティンの目的と解釈できる.そして,これらの要因を向上させるための方策は,3つに大別することができる.自社ブランドへの消費者のプレファレンスを高める,商品ブランドの認知を高める,配荷を高める,の3つである.つまり,企業の経営資源の配分先は,「Preference(好意度)」,「Awareness(認知)」,「Distribution(配荷)」に3つのいずれかになることを意味する.そして,認知と配荷は物理的な限界があるが,プレファレンスは,大きく改善することが可能である.そして,プレファレンスは,「ブランド・エクイティ―」,「価格」,「製品パフォーマンス」によって,決定づけられる.

 

認知率の向上

 売上向上のための方法として,認知率の向上がある.消費者となりうる人全員のうち,より多くの人に,自社のブランドを知ってもらうことが目標となる.こうした,ブランドの認知率を測る指標に,”Aided Awareness“と“Unaided Awareness”がある.前者は,ブランド名を挙げられた上で知っていると答えた人の割合,後者は,ブランド名を挙げずとも知っていると答えた人の割合である.例えば,「USJを知っていますか?」という質問に対して,知っていると答えた人の割合はAided Awarenessだが,「テーマパークや遊園地で思い浮かぶブランドは何ですか?」という質問に対して「USJ」と答えた人の割合はUnaided Awarenessである.消費者が実際にブランドを買ってくれるか否かを考える上では,Unaided Awarenessが重要である.これに該当していないブランドは,消費者のEvoked Setに入っていない,つまり,消費者の購入の意思決定時の選択時に入っていないことを意味するからである.

 特に,Unaided Awarenessの質問に対して一番最初に上がるブランドが重要である.これは,第一ブランド想起率(Top Of Mind Brand Awareness)といい,第一,第二に,自社ブランドが入っていれば,消費者のEvoked Setに入っていることと相関が高い.

 

配荷率の向上

  多くのチャネルに商品が置いてあるほど,消費者が買いたいと思ったときに買える状況にある.つまり,より多くの種類のチャネルや店舗に自社ブランドを置いてあるようにすることが配荷率を上げることにつながる.また,配荷されている店ごとに,どれだけの面積を使って自社ブランドが置かれているのか,どれくらい消費者の目につきやすい場所に置いてあったのか,と言った質的な面も重要である.

 

プレファレンスの向上

 プレファレンスの構成要素は,「ブランド・エクイティー」,「製品パフォーマンス」,「価格」の3つである.

 ブランド・エクイティ―とは,自社ブランドに対する消費者のイメージであり,これが一度消費者の頭のなかで出来上がると,なかなかそれが覆ることはない.すでに,市場に確かなブランド・エクイティーを確立しているブランドがある場合,それと同じブランド・エクイティーを勝ち取ることは難しい.差別化やターゲティングにより価値訴求する相手を限定することで,ブランド・エクイティ―をとがらせることができる.

 製品パフォーマンスは,製品のカテゴリーによって,プレファレンスへの影響度合いは変わる.薬や洗剤のような,製品の効果を消費者が厳しくチェックし,そしてその効果がわかりやすいカテゴリーであれば,製品パフォーマンスのプレファレンスへの影響度合いは強い.一方で,ミネラルウォーターのような製品であれば,消費者は違いがわかりにくいため,製品パフォーマンスは影響しにくい.

 価格は,安ければいいという考えになりやすいが,製品に対して適切な価格を設定することが長期的には重要である.良い製品を提供し続けるには,その分,必要となる経営資源も多くなる.したがって,そうした経営資源を確保するためには,それ相応の価格を製品に設定しなければならない.

 

以上

自己の価値観を探る重要性

 自分を知ることは難しい。他人のことならば自信をもって分析したり批判したりできてもいざ自分がどんな人間なのかを考え始めるとなかなか冷静に、客観的に考えることが難しくなる。どうしても自分を否定することは難しく、感情的になってしまう。自分の選択や考えを正当化したくなるのが正直なところである。イソップ物語の狐がブドウをすっぱいに違いないと自分に言い聞かせたように、認知バイアスが働いてしまうのだ。

 しかし、自分自身がどんな人間なのか、特に自分の価値観がどういったところにあるのかを知ることは重要である。自分がどんな人間なのかが分からなければ、自分がする選択が確かに自分にとっては良いものだったと納得感を持って受け入れることは難しい。そうなると、精神的に不安定になり、思考力や生産性は落ちるし、周囲の人間の意見を素直に聞くこともできなくなり、総合的に見てマイナスの影響しか及ぼさない。

 自分の価値観を知るには過去の自分の経験を丁寧に振り返り、自分がとった行動や意思決定を分析する必要がる。自分が当時持っていた問題意識や、意思決定の時に重視した点を振り返ることで自分がどんなことに重点を置いているのか、惹かれるのかを言語化していく必要がる。そうした過去を振り返りながら自分の中にある軸を探っていくことが求められる。

 自分の根底にある価値観という軸が言語化されて、納得感を得られるほどに精査されて掘り下げられると自分の意思決定に自信を持つことができる。周囲の様々な意見に対して、必要以上に影響をうけなくなる。こうした自分の価値観を明確に認識することこそが、キャリアを歩む上で重要であり、基礎となる。だからこそ、就職活動において形骸化している自己分析とは重要なステップであり、それをないがしろにすることは危険なのだと言える。

 

以上

「議論」を議論したい

 「議論」とは複数人が集まってそれぞれの意見を出し合い話し合う行為である。会社で意思決定を行うときや、研究者たちが集まる学会において行われる。また、基礎的なコミュニケーション能力を測るために企業の採用プロセスで学生たちに行わせるケースもある。しかし、この「議論」はしばしば上手くいかない。とりあえず時間をかけたものの何が決まった訳でもなくいたずらに時間を浪費しただけに終わったり、政治的に力のある人間の意見が尊重されてしまったりと、本質的に意味がある形で行われないことも多い。そこで、議論とはなになのか、どういった目的があり、メリットがあるのかについて考えたい。

 議論が行われるときは、なにかしらの決めなければならないことが存在する。例えば、会社の今後の長期的な経営計画、論文において主張されている仮説は妥当性があるのか、自社製品の事故に対してどう対応していくのか、衰退事業を撤退するべきなのか維持するのか、といったものが挙げられる。つまり、こうした意見が分かれるものの話し合う必要性がある論点が存在していることが分かる。したがって、議論においては、論点に関連する意見が出し合われなければならないし、そうでない意見は議論の場にふさわしい意見ではない。論点について答えを出して意思決定をすることが議論の目的である。

 議論の目的は意思決定をするためであり、その意思決定は企業や組織、あるいは個人にとって良い結果をもたらしてくれる意思決定をすることが求められる。よりよい意思決定をするためには、議論の場において、多様な選択肢や指摘され、メリットとデメリットが出され、様々な視点から多面的に意見が交換されなければならない。一部の人の意見が偏って尊重され、威力を持ってしまってはこの有効な議論を行う妨げになる。したがって、議論の場では政治的な力関係や役職などは関係なく、対等な立場で皆が参加する雰囲気が形成されなければならない。

 個人の議論に臨む姿勢という点から考えると、互いに尊重しあうマインドセットが必要不可欠だ。相手の意見を頭ごなしに否定したり、自分の意見を絶対的に正しいものとは考えたりしてはならない。自身の意見はためらわずに主張しながらも、自分とは対立する主張であっても、まずは先入観なく耳を傾ける必要がある。その上で、納得できる点は受け入れ、不十分な点については指摘することが重要である。そうしたプロセスを踏むことで、主張が徐々に修正、改善され、これまで見えていなかったことは見えるようになっていく。これが議論の深まっていく過程である。こうした深い議論が行われることで、見落としや思わぬ弊害を防ぎ、より正当性の高い意思決定を行うことに繋がる。

 議論には目的があり、その目的とはよりよい意思決定を行うことである。そのためには多様な意見が同等に尊重される必要がある。その上で、支持されるべき点は支持され、批判されるべき点は批判されなければならない。こうした雰囲気をつくるためには、個人のリスペクトの意識が重要であると言える。

 

以上

文章力を高めるためには

「なるほど」と相手を納得させることができる文章を作成できる能力は、今日、より重要となってきています。メール、SNSやブログなどテキストベースでのコミュニケーションが活発になっているのが現代だからです。

しかし、こうした文章力は学校教育で体系的に教育されることはなく、各自の努力によってでしか身に着けることができないのが現状です。小学校での作文の時間はとりあえず自分が思ったことを書き連ねればよく、自分の考えを整理して読み手に伝えるという視点が重視されていません。また、国語の授業でも、読解に重きが置かれており、自分の考えを文章という形でアウトプットする時間はなく、そのノウハウが教えられることはありません。僕の経験上では、大学で卒論を各段階で初めて、章立てや論理構成といった文章の組み立てを考えて伝わる文章を書くという意識を強く持つようになったと思います。

それでは具体的にどんなことに取り組めば文章力を高めることができるのでしょうか。文章作成能力が高い周囲の人たちを観察してみるといくつかの特徴があると思います。

  • 多くの書く経験(ブログ、論文執筆、小説執筆)をしている
  • 1つの文章を見直し修正するという繰り返しを徹底的にやる経験をしている
  • 読書やブログを読むなど、多くのテキストに触れている

また、漫然とブログを書いていたり手当たり次第に読書をしても効率は悪いと思いますので、僕なりに注意すべき点を挙げます。

  1. 文章の構成を確認する
  2. なるほどと思った言葉の選び方をチェックする
  3. 文章全体のメッセージとそれを構成するパラグラフごとのサブメッセージを確認する

1.については、読んでいる文章や書いている文章がどんな論理構造になっているのかを確認するということです。「背景から始まり書き手の問題意識をの出てその解決策といった流れで書かれている」というように把握することを目指します。これが分かると自分が文章を書くときにも整理して書くことができるようになります。

また、構成がいいだけではなかなか読み手を納得させる文章を書くことはできません。自分が伝えたいことを的確に表現するワードを選択して、文章に組み込んでいく必要があります。そのためには、2.のように日常的に上手いと思う言葉の使い方や言い回しをチェックして自分の頭の中にストックしておく必要があります。

最後に3.です。文章を書いていると、結局自分が何を伝えたかったのか、自分の意見の中心的なメッセージを忘れて、単に文章を書き連ねることに満足してしまいがちです。書きながらも適宜、一呼吸おいて自分の文章を客観視する必要があります。文章全体で伝いたいことは何か、それは伝わっているのかをチェックします。また、全体のメッセージを伝えるために各パラグラフではどんなことを伝えるのか(サブメッセージ)を確認してチェックすることで、自分の文章の目的を見失わないように気を付けます。

これらを気を付けるだけでも随分と文章力は向上すると思われます。しかし、なにより大切なのは試行錯誤を自分で繰り返すことです。自分の頭で考えて、それを文章という形でアウトプットする。そしてそれを見直して修正する。言いたいことは伝わっているのか、もっといい表現はないのか、と自問自答しながら試行錯誤を繰り返す、こうした地道な積み重ねが大切なのだと思います。

 

以上

米国大統領選挙について思うこと

第45代アメリカ大統領にトランプ氏が選ばれました。かねてから多くの問題発言を繰り返してきた彼ですが、それはパフォーマンスであり戦略的なものであったとの分析をする意見もありました。いづれにせよ米国の民主主義が出した結論のもとにひとまずは進んでいく必要があると思います。政治に明るいわけではないですが、自分なりの今回の大統領選挙やその結果に対して感じたことを記しておきたいと思います。

 

メディアは民意を反映していなかった

選挙前から繰り返し、ヒラリー氏優勢だ、なんだかんだで圧勝だとの憶測が新聞各紙やニュースで報道されてたいと記憶しています。米国内だけではなく、日本においもそうした願望に基づいた楽観視のような報道は繰り返されていたように思います。両氏ともに問題があるものの、なんだかんだでクリントン氏が当選するであろうとの意見が大半でした。メール問題やトランプ支持者に対する非難の発言、選挙直前のFBIの再捜査報道などクリントン氏には大きな痛手となった問題もありました。こうした背景がありつつも、メディアはクリントン氏当選を信じてやまなかったように思います。しかし、ふたを開けてみると、トランプ氏が序盤から勝敗を分ける重要な州で票を獲得していき、最終的に当選を果たしました。現状の雇用や生活に不満が蓄積しており、トランプ氏支持が本音であるものの世間体を気にして人前では口にできなかった「隠れトランプ」の存在がこの逆転劇に立役者だとも指摘されています。対面インタビューで本音を聞き出す難しさといった調査そのものが孕む欠陥は確かにあるものの、メディアが報道してきたクリントン氏優勢は世論を反映していたとは思えません。メディアに出演するごく一部のインテリ層や都市部の比較的暮らしの豊かな一部の人間だけの願望でしかなかったように思えます。

 

ヒラリーの敗因は果たして「ガラスの天井」か

ヒラリー氏の敗退後のスピーチでは「だれかが近いうちに必ずガラスの天井を打ち破る」と熱く語っています。しかし、こうして敗因を女性の社会的な差別の問題に起因させることには疑問を感じざるを得ません。女性の4割がトランプ氏を支持したとの報道もありますし、他に多くの支持離れの原因があったはずです。私用メール問題による信頼の喪失や、トランプ支持者に対する失言もありました。また、選挙直前にFBIから再捜査をするとの報道もありました。一般市民からすれば、こうして直前に再捜査の動きがFBIを起こすということ自体、ヒラリー氏が問題を握りつぶしたせいではないか、と疑ってしまいます。また、現状の政治への不満もあったと思います。あれだけの人気を集めたオバマ政権であっても、徐々に支持する声は弱くなっていきました。これまでの体制でこぼれ落ちてきた人たちの不満や怒りが、「なにかやってくれそうなトランプ氏」の支持へと駆り立てたのかもしれません。これまでの政治体制や現政権への不満、クリントン氏の個人的な問題と、選挙結果に大きく影響を与えたと思われる要因が多くある状況で、「ガラスの天井」に責任転嫁をして、「美しい敗者」を演じて終わろうとするクリントン氏の姿勢には反感を覚えます。

 

民主主義国家で独裁者の暴走はできない

トランプ氏はメキシコとの間に壁をつくる、イスラム教徒を(一時的に)入国禁止にする、など過激な発言を繰り返してきました。こうした「偏った人間」というイメージから独裁政治が行われて、めちゃくちゃな政治をするのではないかと不安する人も多いはずです。しかし、その点に関しては米国や日本の政治体制の下では不可能ではないかと思うのです。あれほどアメリカ国民が熱狂して、支持を集めたオバマ政権も、大きな改善をもたらし得なかったとの批判もあります。オバマケアもその実現には長い年月がかかりました。それは、大統領1人では強引に自分の意見を実現することができず、議会の承認や、官僚たちの具体的な制度設計が必要不可欠で、よくもわるくも即断即決即実行ができない仕組みになっているからだと思います。なので、たとえトランプ氏が理不尽なことを提案しても、最悪官僚たちがボイコットすればなにも進みません。このように民主主義が「間違った結論」を出すことは織り込み済みで、社会の仕組みはできているのだと思います。間違いを繰り返しながらも徐々に、「正しい」方向に近づいていこうとする、それが「民主主義」なのではないかと思うのです。