自己肯定感を高める3
自己肯定感を高めるための方法として「成功体験を重ねる」ことの大切さはしばしば指摘されていると思います。しかし、なにもこの成功体験は大それたものではなく、小さなものの積み重ねこそが重要だと思います。こうした小さな成功体験の積み重ねのためにやっているのが「毎日の目標立てと振り返り」です。
1.目標をタスク単位で細かく具体的に立てる
目標といっても「プロ野球選手になる」や「成長する」といった夢や漠然としたものではありません。「日経新聞の朝刊を読んでなるほどと思う記事や考え方を1つ見つける」や「プレゼン資料のスライドは一枚ごとに伝えたいことを確認した上で作成する」といった細かなタスク単位で具体的に設定するのです。「成長する」という目標を立てても具体的に今日は何をするのか、どんなことを気を付けるのかははっきりしません。すると目標が達成できたのかも評価できないという問題も起こります。具体的な場面や状況、その場面で取るべきアクションやマインドセットが分かるように目標立てをします。毎朝、これを紙に書きだしながら目標立てを行っています。
2.目標のハードルは低くする
目標立ての目的は成功体験の積み重ねなので、到底達成できそうにない目標や非常に大きな労力を必要とする目標はふさわしくありません。先ほどの例でいえば「なるほどと思える記事を10個見つけて必ずブログに書く」などとすると格段に越えるハードルは大きくなります。取り組む前からやる気をなくしてしまったり、結局達成できずに自己嫌悪を陥ったりしてしまいかねません。そこで、ハードルは低く設定します。だから「記事を1つ見つける」としたのです。なんだか自分を甘やかした気にもなりますが大丈夫です。ハードルを越えたら自然とやる気がわいてモチベーションが高まるのでさらに上のことをしたくなります。例でいえば、1つ発見をするとそれが楽しくなり気付いたら何個もしていたということになります。それに自己肯定感が低い人は自分に厳しすぎる面もあるため、自分を甘やかしてしまうということも考えにくいと思います。
3.しっかりと自分をほめる
一日の終わりに立てた目標の振り返りをします。このときにはとにかく自分をほめるようにします。タスクにハードルを下げて目標立てをしたので、できたことが多くあるはずです。たとえ達成できなくとも、その家庭での成長や進歩に注目してそこを自分でほめます。そうすることで、確かに自分は目標を達成した、ハードルをのり越えたと思えます。自分の良さをしっかりと認識することができます。すこし、恥ずかしかったりもしかしたら馬鹿らしく思えたりするかもしれませんが、この効果は大きいと思います。少し落ち込んでいるときは特に大切で、多少なりとも自信を回復することができます。これも朝の目標立てと同様に紙に書き出して取り組みます。
まとめ
小さな成功体験を積み重ねることで自己肯定感を高めるための方法として「毎日の目標立てと振り返り」を紹介しました。タスク単位で低いハードルを設定すること、自分をしっかりほめて自分の進歩を具体的に認識することが重要です。以下、参考図書です。
以上
自己肯定感を高める2
自己肯定感が低い僕がその改善のために心掛けていることを紹介します。
今回は、くよくよしてしまうときに心掛けていることを紹介します。
1.頭の中にあることを紙に書き出す
だれかに批判されたり、いらいらしたりすると頭の中がなんとも言えないもやもや感でいっぱいになります。この段階では、怒りや悲しみ、不安といった感情はあるものの、それが何に対するものなのか、なぜなのかといったことは明確に言語化して認識されていません。自分自身のことがよくわかっていない状況です。そこで、このもやもやをまずは言語化して自分自身のことを知る必要があります。それを強制的にできるのが「紙に書き出す」ということです。実際に書いてみようとすると、言葉を選んだり、主語や目的語が何かを必然的に考えたりするので、ぼんやりとしていた頭の中で考えていたことが徐々に明確になっていきます。また、書き出した文章を改めて見ることで、自分が考えていたことを客観的に把握できます。書き出してみることで、心の中、頭の中の声だけで認識していた自分の考えてていたことが、手の動きや視覚的な情報としても認識できます。すると、少し冷静さを取り戻し、客観的に捉えることができます。そうして、正確に、そして客観的に自分がもやもやと考えていたことを書き出して認識してみると、意外とどうでもいいことだと思えることも多くあります。逆に、自分のすごさやすばらしさを発見することもあります。
2.ネガティブな解釈をポジティブに解釈し直す
どうでもいいこと、それほど重大ではないと思えない場合もあります。そうした時は、視点を変えてみます。ネガティブな解釈をポジティブに捉えなおすのです。
例えば、「受験の失敗をいつまでもひきずってしまう」自分がいたとします。過去の失敗をいつまでも引きずるのは女々しいと思われることもあります。失敗した自分に加えていつまでも気にしてしまう自分に対しても許せないという人もいると思います。しかし、視点を変えてみれば「それだけ必死に受験を頑張れる自分であった」ということです。適当に取り組んでいたら、失敗をそこまで深刻に長く気にしたりしません。頑張ったからこそ、コミットメントが高かったからこそ落ち込み、気にしてくよくよしてしまいます。しかし、それは逆に言えばそれだけ必死になれる人間であるということであり、そうした人間はそれほど多くはいないはずです。
3.自分を認めて尊重してくれる人と会う
人と会うというのも本当に重要なことだと思います。ただし、同じようにネガティブな人や自分という人間を否定してくる人とは会わない方が得策です。自己肯定感が高く前向きで、自分の良さがすごさを尊重してくれる人と会うのです。一緒にいると自然と前向きになる人、普段は無口なのになぜかその人にはいっぱい話してしまう人がこうした人間だと思います。会って話すと、相手は自分のことを大切にしてくれていると感じます。また、自分が気づいていない自分の良さを教えてくれることもあります。相手の前向きさ、ポジティブさに刺激を受けて、自分もネガティブな状態からポジティブになることもできます。
まとめ
自己肯定感が低い人にありがちなくよくよしてしまうときに僕が心掛けている行動を紹介しました。自分の現状を知るために言語化をすること、視点を変えること、人と会うことです。次回は、日々の生活で取り組んでいることを紹介します。以下、紙に書き出すことを活用した心のマネジメント手法を説いた参考図書です。
以上
自己肯定感を高める1
自己肯定感の低さにはよく悩まされます。自分の価値や大切さをなかなか自分自身が認めることができません。徐々に良い方向には向かっていると思うのですが、まだまだだなというのが正直なところです。
自己肯定感とは「ありのままの自分を認めて大切に思える感覚」だと思います。
褒められたときには素直に喜んで感謝する。
何か失敗しても、素直に認めて間違いを繰り返さないことに集中する。必要以上に落ち込まない。
こうした行動や考え方をするためには自己肯定感を高く持つ必要があります。
何かを成し遂げたり、ものごとが上手くいっているときは、自分のことをほめることはしやすいし、少なくとも自分を否定したり価値を低く思ったりはしません。
しかし、一生懸命頑張っていたことが上手くいかなかったり、他人から評価されずに批判されてたりすると一気に自体は急変します。
「上手くいかない自分」を素直に受け入れて尊重することができないのです。
僕も失敗する自分はダメな人間なんだ、価値がないんだ、と思ってしまう人間でした。うまくいかない自分を素直に受け入れることができないことも多かったです。
しかし、そんな不器用な面も含めて自分なのです。
そんな自分を大切に思えないと、他人からの思いやりある批判や指摘も自己否定と認識してしまい、自己成長や人間関係の構築の障害になってしまいます。
次回は自己肯定感の低い自分を変えるために取り組んでいることを紹介したいと思います。
以上
ポジティブな人と会う大切さ
自信がなくなったり、自分を見失ったときにポジティブな人と会って話すことは大切だなあと思います。
ポジティブな人というのは、単に元気でテンションの高い人や明るい人のことではありません。
自分の信念や哲学を持っていて、今の自分と将来の目標とする自分を比べて、今やるべきことを設定できる。そして、設定したやるべきことを、価値ある大切なこととして地道に実践していける人のことであると考えます。
こうした人たちは、充実感やりりがいを感じていることが多いため、結果として「いつも明るい人」や「元気な人」として見られることも多いかと思いますがそこが本質ではないと思います。
自分を信じられなくなった時にこうしたポジティブな人と会って話すと、的確なアドバイスをもらえることもありますし、自然となくしていた前向きさを取り戻すことができます。
何事も地道に努力をしても上手くいかないことは当然あります。ポジティブな人たちも、もちろん多くの挫折を経験しているはずです。多くの成功や挫折の経験から、スキルなどの技術的なアドバイスや励ましの言葉をかけてくれます。
辛い挫折を乗り越えた経験があり、そのときの充実感や達成感をしっているので、彼らは今の自分を信じて、やるべきことをこなしていくことができます。辛い今をまた乗り越えられるはずだと信じることができます。そうした着実に前進していく姿は、自然と周囲の人に伝染していき、ネガティブになりつつある人が再び自分を信じることができるようにもしてくれます。
周囲に影響を与え、周囲からも影響を与えられる。こうした人間の社会的な一面が、これまでも人類を前進させつづけてくれたのであり、今日の豊かな社会があるのだと思います。
以上
相手の価値観を尊重する
自分とは違う価値観を持った人と付き合っていくというのは本当に難しいな、と思います。自分と全く同じ人間がいない以上、全く同じ価値観を持つ人はいないと思います。しかし、かといって全く同じ価値観、あるいはかなり近い価値観の人としか上手くやっていけないのか、と言えばそれは違うはずです。
「自分とは異なる相手の価値観を尊重する」
これができればうまくやっていけるはずだと僕は思うのです。
しかし、これを実践することはなかなか難しいのかもしれません。
相手の生い立ちや過去の経験、挫折、成功、一つ一つから丁寧に現在の相手の価値観を分析していく必要があります。また、それとともに、相手のその価値観形成のプロセスを自分自身で追体験をし、同じような気持になり、強く共感できなければ本当に意味では相手の価値観は理解できません。
しかし、強い共感のレベルまで達するのは、経験ことなる以上無理なケースも多いと考えられます。しかし、そこまで理解しようとする姿勢をもち、自分の理解の限界にを認識した上で相手の価値観と向き合うことが大切だと思います。
そうすれば、自分とは違うというだけで、相手の価値観を否定したり、馬鹿にしたりはできないはずです。一方的に、他の人と同じだと決めつけることはできないはずです。表向きは同じに思えても、それを形成してきたプロセスが違うので、微妙に違っているはずです。
異なる価値観との向き合い方は今後も考えていく必要があるな、と感じています。
以上
感情への対応の難しさ
感情に対して、どう向き合うかというのは本当に難しい問題だと思います。
嬉しさや楽しさとったポジティブな感情であれば、むしろ色々なことに好奇心を持って取り組んだり、人にやさしく接することができたりと、良い効果が大きいかと思います。ポジティブな感情は前向きになる原動力とも言えます。
しかし、悲しさ、嫉妬、悔しさといったネガティブな感情であるとなかなかそれを前向きな方向に進む原動力とすることは難しいです。
悲しさという感情で頭がいっぱいになってしまうと、冷静に目の前で起きていることを把握できなかったリ、視野が狭くなり、短絡的な思考に陥ってしまい不必要に自分や他人を責めてしまったりします。そしてそんな自分に対して嫌気がさし、どんどんと気分が滅入ってしまうのです。
こうした場合には、「書き起こす」ことが重要であると思います。
「ストレスは、健康に悪いと思っている人にとっては悪い」という研究結果を発表したスタンフォード大学教授、ケリー・マクゴニガルさんによれば、出来事や感情を「書き起こす」こと自体に一定の心理的なヒーリング効果があるそうです。
実践してみると、徐々に自分が短絡的になっていることに自覚し、冷静さを徐々に取り戻していくことを実感しました。
「書くこと」の重要さを再確認しました。
スタンフォードの心理学講義 人生がうまくいくシンプルなルール
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過去から現在へ2
僕の生まれた家は静かな町にあった。ちょっとした民家の集まった地域と水田が一面に広がる地域が組み合わさってできたような町だった。田植えの時期には全ての水田に水が張られる。夕日が山に沈むころには張られた水に真っ赤な光が反射してとても美しい景色だった。夜は車が走る音もなく、夏になるとコオロギとカエルの鳴き声だけが響いていた。車で数十分もかかる最寄り駅を走る電車の淡々と走る音が聞こえてくるほど、静かな夜だった。窓を開けて流れるように吹く夜風を浴びながら眠りに落ちていくのが好きだった。
だからと言って、僕の幼少時代が平穏なものであったかと言えば決して違う。
僕が物心がつくころにはすでに歯車が狂っていたみたいだった。
突然その時期はやってくる。
母親はヒステリックな声をあげて叫び、怒りを家庭内でぶちまける。
祖父母はそれに呼応するように声を荒げる。
罵声が飛び交い、僕はその時期になるとひたすらそれらに耐えるしかない。
僕にはどうすることもできないのだ。
僕の生まれた家ではいわゆる嫁姑問題が生じていた。
いつからなのか、どうしてはじまったのかは僕はよく知らない。
どうやら昔、祖母が母をなじるなど、今でいうところのモラハラのようなことをしていたらしい。それに耐えかねて母は祖母や祖父に対して強い不信感と嫌悪感を抱くようになっていき、時折怒りを爆発させるのであった。
経緯はどうであれ、とにかく僕にとっては生まれたときからこうした状況が当たり前のようになっていた。
その時はいつも突然やって来るように思えた。
床が汚れていたり、何かが壊れていたりすると、母は祖父母の仕業に違いないと断罪し、嫌悪感でいっぱいの顔をしてその旨を僕に伝えてきたものだ。
これが前触れだ。
そして祖父母への追求が始まる。
徐々にエスカレートしていき、罵声が飛び交うようになる。
包丁を持ち出すこともあったし、警察が来ることもあった。
父も間に入って止めようとするがもう無理だ。
数時間はこうした交戦状態が続く。
繰り返しこうした争いが起こるので、僕は大人たち、特に母親の顔色や雰囲気に過度に敏感になっていった。
いざ、交戦が始まれば僕はただただ、耐えるしかない。
どうしてこんな怖くて、居場所がなくて、孤独な感情を持たなければならないのかと思った。自分が何か悪いことをしたからなのではないかと何度も疑った。「いい子」にしていようと何度も自分に言い聞かせたしかし、人並み以上に「いい子」だったと思う。
でも何も変わらなかった。
誰も僕のこの気持ちを、悲しさを、無力感に気づいてくれはしないのだと思った。
誰も僕のことなんて気にしていないんだと思った。
僕の気持ちを理解しようとしてくれる人もいないのだろうと思った。
妹がいたが、二人で静かに、耐えるほかなかった。
何とかこんな家を変えてほしいと強く願った。
神様がいるなら助けてほしいと、願った。
寝て起きたら違う家の子どもになっていないだろうかとも思った。
だけど、何一つとして
どんなに待っても
どんなに願っても
変わらなかった。
続く