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「リーダーシップ」を再考する

「リーダーシップ」の重要性が語られて久しい。しかし、この言葉に対して私は壁を感じてきた。崇高で、先天的で、限定的なものに思えてならなかった。大学、企業、そして日常生活においても求められる「リーダーシップ」について考えてみたい。

「リーダーシップ」の必要性

ビジネスの世界では、自分の新しいアイディアや構想、切り口を単に自分の中だけで温めておくのではなく周囲に発信していかなければ企業や社会に貢献できないし、自分の組織内での存在意義も薄れていってしまう。アカデミックな世界であっても、学会ではただ他者の意見を聴くだけでなくそれを踏まえて自分の意見を主張しなければその知的活動に貢献したことにはならない。したがって、こうした発信していく姿勢が社会の一員としての役割を果たす上で重要であり、その基礎となるのが「リーダーシップ」である。

「リーダーシップ」は一部の人が持つものなのか

一般的には「リーダーシップ」はリーダーが持つべきものであるとされる。広辞苑では「リーダーシップ」は「指導者たる地位または任務、指導権」や「指導者として資質、能力、力量、統率力」と定義されている。「リーダーシップ」を持つ存在として想像されるのは、総理大臣や社長や部活の部長といった組織の中で最も役職の高い人や徳川家康キング牧師のような偉人であると思う。つまり、ごく一部の人が持つべき資質や能力として、あるいは才能として捉えられているのが実状であると思われる。

スポーツマンシップとの比較からの「リーダーシップ」の考察

「リーダーシップ」を議論するにあたってスポーツマンシップを例に挙げて注目したい。スポーツマンとは、プロ野球選手やオリンピックに出場する選手のようなトップアスリートと呼ばれる人々である。しかし、スポーツマンシップは彼らだけが持つもの、持つことを求められるものではない。小学校の運動会や中学の部活の大会でもスポーツマンシップに則り正々堂々と試合や競技に臨むことを誓う。スポーツをするにあたって誰しもが持つことを必要とされ、そして実際に持つことができるものである。競技相手を尊重して卑怯な真似をしないという心がけであり、誰しもが持っている倫理観である。「リーダーシップ」も本来、一部の人間が持つ神格化されたものではなく、誰しもがもともと持っているものであると言える。

リーダーシップは自分の意志に従い行動すること

身近な事例から「リーダーシップ」を考察したい。私は高校時代陸上部に所属していた。筋力不足に問題意識を抱えていたことから2年性の秋ごろから自主的に筋力トレーニングを行う朝練を始めた。するとそれを知った友人も同様に問題意識を抱えていたということで一緒に朝練に参加するようになった。その人数は徐々に増えて後輩も、どこから聞いたのか他の部活の者まで参加するようになった。私の意志やとった行動に共感して人々が集まった、これこそが「リーダーシップ」が発揮された事例であると考える。つまり、「リーダーシップ」とは「自分の意志に従って行動すること」であると私は考える。

リーダーシップの課題とフォロワーシップ

自分の思ったことや考えたことを行動に移してもリーダーシップが発揮されない場合もある。2016年に起きた衝撃的な事件の一つである、神奈川県相模原市障がい者施設襲撃事件を取りあげたい。容疑者は「障がい者は社会に不用だ」という独特の持論を主張して残酷な犯行に及んだ。これは自らの意志に従って行動した事例であるがこれに共感する者はいないし、いてはならない。ここから皆の価値観や倫理観に合った意志と行動でなければ共感は得られずにリーダーシップは発揮されないことが分かる。

しかし、共感されるべきではないものに共感がされてリーダーシップが誤って発揮された事例もある。ナチスや太平洋戦争へと進んだ当時の日本政府である。苦しい経済環境から誤った意志や思想に共感して人々は戦争へと突き進んだ。リーダーシップが有効に機能するにはそれを監視して共感すべきものを見極める周囲の「フォロワーシップ」も必要であることが分かる。リーダーシップとフォロワーシップは補完し合うものであり、行動する人と監視する人の持つべきものであるため誰しもが持つべきものであり場面によって使い分ける必要がある。

まとめ

社会への貢献という点から自分の意見を発信するための心持が必要でありこれをリーダーシップと定義した。リーダーシップには共感を誘う志あるものではならないことを指摘し、リーダーシップを暴走させないためには監視して見極めを行う周囲のフォロワーシップが重要であることを指摘した。

以上