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なによりも自分のためのブログ

これまでに考えてきたこと、ふと思いついたことを発信していきます。

「正当性」と「正統性」の違い

 「正当性」と「正統性」が似て非なる概念である。まず、正当性は主張や行為が正しいか正しくないかによって議論される性質のことである。一方で、正統性は周囲からの承認が得られる正しい手続きのもとに決定がなされているか否かによって議論される性質である。

 自分の価値観や思考と対立する主張は自分にとっては正しくないため、正当性がない主張であると言える。また、ほぼ意見の分かれることのない倫理的に反する言動に対しては正当性がないと言える。人を殺してはいけないという主張は倫理的に正しい。したがって、殺人犯が「腹が立ったから殺した」と主張すればそれは正当性のない主張である。直近の事例でいえば、相模原障碍者施設殺傷事件において容疑者が主張した独特の思想は決して正当性がないと言える。

 一方で、正統性は手続きであり、決定に至るプロセスが不正なく行われているか否かが論点となる。相手の主張が正しいか正しくないかによらず、正しいプロセスの下に導かれた主張や決定であれば正統性があり、皆が従うことになる。選挙において支持政党とは異なる政党が与党となった場合、たしかに自分の声を反映してくれる正当な政党ではない。しかし、不正なく正しい手続きの下選挙が行われて決定された以上、それに従うのが一般的である。これは正統性が認められているため、皆が従うのである。

 それでは正統性が認められるためにはどんな要因が必要なのであろうか。まずは、前述した不正がなく正しい手続きが行われていることである。誰か個人の利益のために手続きが操作されてはならない。不正でなくとも、見落としや過失によって正しい手続きがなされていないことが分かれば、再度やり直したり、再審査したりすることが求められる。

 また、その手続きが監視され、正しく行われていることが保証されていることが必要である。企業活動でいえば、外部取締役や監査法人がこの役割を担っていると考えられる。政治でいえば、メディアがその役割を担う。政治家の汚職等を厳しく追究するのは正しい政治の手続きがなされるためにも重要である。また、国民に政治的な議論や公開情報を広く伝達することで、正しく政治的プロセスが踏まれていることを知らせる役割も担っている。

 しかし、正統性が保証されていても、皆が従わない場合もある。政治でいえば、不信任決議がなされることがこの状況にあたる。これは、正統な与党に対する信頼が喪失されたためであると解釈できる。この信頼は与党の取り組みに対する評価によって決まる。進歩や改善が見受けられるか否かによって判断される。また、不祥事や問題発言といった事件も大きくこの信頼を損なうことになる。このように周囲からの信頼を得られるか否かが重要だと言える。

 以上をみても正当性と正統性が独立な性質であることが分かる。よって、正当性がない場合でも正統性が一部の人々に認められて場合があり、とても危険な状況になることがある。ナチスアウシュビッツでのユダヤ人迫害に関してはまさにこの具体例として挙げられる。第一次世界大戦の賠償金に苦しむ国民に、不満のはけ口を提供したと言える。ヒトラーは選挙によって権力を握ったため正統な指導者とも言える。しかし、少なくとも現代的な価値観でいえば絶対に正当な考えではない。正統性が認識されると、正当でないことも人々は正当化してしまう恐れがある。したがって、正統性があるとしても、それを監視して疑問を投げかけ続ける姿勢が必要不可欠なのだ。

 

以上