なによりも自分のためのブログ

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「多様性」には類似性が必要である

 米国大統領に就任し,公約を次々と断固するトランプ氏の行動に,批判の声は大きい.LGBTイスラム教徒の立場を追い詰める施策が命じられ,「多様性」を否定し,米国の「ダイバーシティ」が失われるとの批判がなされる.しかし,「多様性」とは,そもそも,なぜ重要であるのか.その点について一度,立ち止まって考えてみたい.
 
「多様性」は以下のように説明される.

幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7

つまり,類似性が見られながらも少しずつ異なる点もある,緩やかなつながりを持つ性質が,多様性と言える.全く異なるもの同士が単に集まっただけでは,多様性があるとはいえない.

 

 この多様性が否定されてはならない理由は,倫理的な規範による.人権の尊重という現代の基礎的な価値観に基づき,自分とは異なる文化や思想,身体的・精神的特徴を有する人を,否定したり,虐げたりすることは許されない.つまり,多様性を否定することは,倫理的に反するものであり,一部の価値観や集団を一方的に押し付けるものである.これについては,許してはならない.

 

 多様な人が一緒に生きていく以上,単に,自分と異なるからという理由で,虐げたり排除しようとしたりしてはならない.つまり,自然な多様性の高まりを拒絶することはあってはならないということである.しかし,一方で,多様性を積極的に促進することの意義とはどこにあるのであろうか.

 

 多様性を積極的に進めるとは,集団内に様々な宗教的・文化的・身体的特徴の異なる人々を積極的に増やしていこうということを意味する.その結果として,様々な「考え方」を有する集団へと変化していく.企業であれば,多様な考え方をする人が多いほど,知的生産性は向上すると考えられる.異なる考え方の人々が議論を重ねることで,気づきの数も増え,着眼点の選択肢が増え,斬新なアイディアも出やすくなると思われる.つまり,多様性促進の積極的理由とは,集団としての能力の向上に寄与することにあると考えられる.

 

 しかし,集団としての向上のためには,その構成員が,相互に尊重し合い,耳を傾け合うという個人の中の意識についての類似性がなければ成立しない.ただ,いろいろな人が集まっただけでは,意味がないのである.時に,意見が真っ向から対立し,利害が一致しなかったとしても,お互いに耳を傾け合う精神を忘れてはならない.
 
 以上のように,多様性は,異質性とともに類似性も有することを前提とした概念であるとともに,その多様性の維持のためには,異質さに耳を傾け続ける,ある種の忍耐的寛容性が必要不可欠だと考えられる.